いま本堂が建っている場所の近くには、かつて薬師堂がありました。そこにはお地蔵さんや荒神さんなども併せて祀られていました。神仏習合の風習が長く続いた当時としてはごく普通のことでした。
しかし明治になると政府は神仏分離政策をとるようになり、田舎の小さな祠であっても神仏を合祀することができなくなりました。地元の人々は相談を重ね、浄土真宗の説教所を新たに作って、薬師堂の仏像をそこに移すことにしました。かくして創立されたのが照円寺の前身となる柞原説教所です。明治22年のことでした。
1889年 明治22 | 説教所を創立する |
1914年 大正3 | 北面の本堂を南面に改修する |
1948年 昭和23 | 「照円寺」の寺号を称する |
2000年 平成12 | 本堂を再建する |
2013年 平成25 | 駐車場を取得する |
● 姓名 徳永浩然(浩二)
● 略歴
1964(昭和39)年生まれ
香川県立丸亀高校、大阪大学工学部電気工学科卒業。
四国電力に入社、西条火力発電所で2年間当直勤務をする。
工業科(電気)の教諭として多度津工業高校、高松工芸高校で計18年間教鞭をとる。
2008(平成20)年に教職を辞し僧侶となる。声明と雅楽(篳篥)を習い始める。
2016(平成28)年に照円寺住職を継職する。
令和元年より郡家興正寺別院輪番を勤めている。
● これまでにハマったこと
高校の部活で合唱にハマり、以来20年あまりいろんな合唱団で歌わせてもらう。
しばらく休んでいたが、高校生の時に衝撃を受けたヴェルディ作曲「レクイエム」に、オケつきの合唱でステージに乗る機会に恵まれ、「待っていればチャンスって来るんだなぁ」と勝手に感心する。
高校教諭の間は吹奏楽部の顧問として器楽にハマった。辛いこともたくさんあったが、それを補って余りある楽しい日々だった。一緒に汗を流した生徒諸君と支えてくれた家族に感謝している。
● 現在ハマり気味なこと
放送大学で高橋和夫名誉教授の講義を見ること。この人は放送教材の作り方がうまくて尊敬している。
花園大学の佐々木閑教授の発信をチェックすること。著書にかなり影響を受けた。