NHKの人気番組「チコちゃんに叱られる」が好きで、毎週観ています。永遠の5歳児であるチコちゃんは、私たちが普段気にもとめずにスルーしていることを「何で?」と質問します。答えられないと大変なことに。「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と叱られてしまいます。
私は今年60歳、少し前なら定年退職です。はるか先と思っていましたが、あっという間に来てしまいました。会社に就職したころは、定年を迎える大先輩たちは失礼ながら大変老けて見えました。しかしその言動は長い経験に裏付けられた重みがあり、心から尊敬すべき存在でした。同じ年を迎えて、私の顔には同じように皺が刻まれています。しかし年齢に見合った中身があるかと自問すれば、はなはだ頼りない限りです。自分なりに懸命に過ごしてきたつもりでしたが、「ただ年をとっただけ」の現状に気づいて慄然とします。
僧侶として仏事を勤めていると、生きる目的や人生の意義について考えることが多くなります。高齢の父親を側で見たり、自分自身が年をとって残された時間を意識するようになるとなおさらです。仏教は身近にありますから学ぶ機会は多いのですが、知識が増えてもそれで納得して問題が解決するかといえば、そうでもありません。
「本願力にあいぬれば むなしく過ぐるひとぞなし」
親鸞聖人の和讃です。私は弥陀の本願を知識としては知っていますが、素直に受け取ることのできない自分がいます。出遭っていても、頭でっかちが邪魔をして気づいていないのでしょう。このままではせっかくの仏縁が勿体ないことです。「空しい老人」で終わらないように、チコちゃんに叱られながら考え続ける毎日です。