蓮が泥水から茎を伸ばし花を咲かせるのを見て、私たちは蓮のいのちを感じます。ともすれば伸びた蓮にばかり注目するのですが、蓮が咲くには、まずは親世代の蓮根が泥の中になければなりませんし、成長するには日光や水が必要です。目に見える出来事は、目に見えない、あるいは気づきにくいものに支えられているのですね。
因果という言葉があります。原因と結果のことです。原因には直接的な原因である「因」だけでなく、間接的な原因である「縁」があるのだそうです。ですから正確には因縁果と呼ぶのが正しいのかもしれません。蓮根が因であれば蓮の花は果、そして日光などの環境を縁と考えることができるでしょう。
目に見えないはたらき(縁)で花が咲く。毎年同じように見ていても、「私」はこれまでその道理に気づかなかった。しかしある日突然、気づくことができた。そして更には、気づいたのは「私」だけれど、その気づきも実は、目に見えないはたらきのおかげであった。目に見えないものは、いつも「私」にはたらきかけている。
辛い時悩んでいる時には、支えてくれるものに出遭いたいものです。もし出遭えたならば、そこには目に見えないはたらきがあったのです。それを私たちは、仏と言うのでしょう。
私の口から南無阿弥陀仏
それをするのは私じゃない