春秋時代の中国において、呉国と越国は激しく争いました。范蠡(はんれい)は臥薪嘗胆で有名な越王勾践(こうせん)に仕えて軍師として活躍しました。越は呉を滅ぼし中原の覇者となります。長年の苦労が報われて、さあこれからという時なのに、功臣の范蠡は主君の元を去って密かに越を脱出します。その理由は、「ずる賢い兎が死ねば猟犬は煮て食われてしまう」からでした。さらには、勾践のような容貌の人間は「苦難を共にできても、歓楽は共にできない」と友人あての手紙に書いています。
強敵がいる間は自分を必要としてくれるが、勝ってしまえば用済みとなる。越王勾践は猜疑心が強いので、自分もひどい仕打ちを受けるようになるに違いないと判断したのです。事実、勾践は悪意のある告げ口を信じるようになり、長年の側近である文種を自殺させ、そのあと越は衰退してゆきます。
范蠡は、人の心に潜む闇をよく理解していたのでしょう。その闇は、勾践だけではありません。誰の心にも、もちろん私の心にも巣食っています。苦難を乗り越えるためには他人の助けが必要だけれど、得た成果は独り占めしたい。自分勝手でイヤになってしまいます。ということは、人間の真価は成功した時にこそ試されるのかもしれません。
同じく春秋時代の逸話ですが、狐丘という地に住む長老が楚国の孫叔敖(そんしゅくごう)に「人には三つの恨みがある」と教えたところ、孫叔敖は「位が高くなったらますますへりくだり、職権が増せばますます他への気配りを細かにし、収入が増えれば他への恵みを厚くします」と答えました。孫叔敖は言った通り謙虚に人生を全うしたため、他人から恨まれることなく子孫は永々と続いたといいます。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」ということでしょうか。
苦難もそうですが、歓楽こそ大切な人と共にできるよう、謙虚な生き方を心がけていたいと思います。