2025年2月のことば

ありがとうと 伝えられずに 「ほっといて!」

自分の気持ちを素直に伝えたいのに、思うようにできないもどかしさ。思春期の頃は特にそうで、毎日のように親と衝突しては、後で気まずい思いをしたものです。

10年ほど前の話ですが、本棚を整理していたら亡くなった母の古いノートが出てきました。その日にあったことを書き留めていたようです。ノートには、私が風邪をひいて熱を出した、学校でイヤなことがあって落ち込んでいた、など子供のことが少なからず書かれていました。そして「がんばれ」の励ましが何度も何度もありました。

読んで涙が出ました。反抗期に生意気な態度で接しても、いつも優しい母でした。子供に言いたいことがあっても口には出さず、そっと見守ってくれたのだとその時やっと気づきました。

阿弥陀如来は、逃げている人を追いかけて救いとるのだと、親鸞聖人はおっしゃいます。逃げるとは、仏に背を向け、仏の教えに反する生き方をすることです。そんな人をもあきらめずに追いかけて、寄り添い続ける仏のことを、聖人は和讃で「慈悲の父母」と讃えています。

母に対する反抗期の他にも、根拠のない自信があって尊大な自分でしたが、そっと支えてくれる周囲の存在に気づかせてくれたのは、母のノートでした。私の口から「南無阿弥陀仏」のお念仏が出るのは、ともすれば仏の教えから逃げようとする自分の姿を、母が教えてくれたからでしょう。