コラム 2022年春


良かれと思ってしたことが・・・

 これは学校の教員をしていた頃に、同僚のA先生から聞いた話です。

 A先生が以前勤めていた学校では、教科ごとに職員室が分かれていました。ですから少人数でいつも和気あいあいとした雰囲気だったそうです。教科主任のB先生は、年に一度ですが、親戚が営んでいるパン屋の食パンを全員にプレゼントしてくれました。その大きさがスゴい。焼き型から出した食パンがそのまま袋詰めされており、市販のサイズで3袋分くらいはあったでしょうか。自分で買うことのない分量です。私の家族は年に一度の食パン祭りという感じで楽しんでいました。

 その年も同じようにパンをもらいましたが、数日後にA先生から愚痴を聞かされました。
 「B先生からパンはもういらないと言われた。良かれと思ってパンをあげたのに、断るとは何事か!自分が食べないなら近所に配るなりすればいいのに!」

善意が重荷に変わるとき

 それを聞いて私は驚きました。実はB先生、パンをもらってすぐに私に相談してきたのです。
 「うちは家族が少なくて食べきれない。それにあの店の食パンはあまり美味しくなくて、家族からも評判が悪いんだ。
最後には捨てるんだけど、食品を廃棄するのはイヤな気分だ。A先生の好意はありがたいんだけど、うまく断るにはどうしたらいいだろうか。」
 私は「家族が少なく、食べきれずに捨てるのが忍びないのでご遠慮します」と言えばとB先生に提案しました。B先生の家族はパンが好きで、特に食パンはお気に入りの店でいつも購入するそうです。だからA先生のパンは食べたくないというのが一番の理由なのかもしれません。でもそれを言うとA先生が傷つくので、物理的な理由を前面に出して柔らかく断わればよいと思ったのですが、うまく伝わらなかったようです。

 B先生はどうすれば良かったのでしょうか。黙って捨てればよかったのでしょうか、自分が美味しいと思わないものをご近
所にあげれば良かったのでしょうか? どちらも罪悪感が残
りそうですね。やはりここは、A先生に変わってもらうしか解
決策はないようです。


悪魔より怖い「善魔」って?

 A先生は自分の善意が迷惑になるとは夢にも思っていなかった。あるいは、いらないものでも一応は受け取るのが礼儀だと思っていた。だから「いりません」と言われると、信じていたものから裏切られたような気持ちになるのでしょう。 ちょっとした価値観の違いから善意が憎しみに変わり、お互いが傷ついてしまう。私たちの周りにはそんな不幸で満ちています。
 お坊さんになってからいろんな本を読んでいると、A先生の気持ちを表す言葉に出会いました。それは遠藤周作のエッセイに出てくる「善魔」というものです。

 ひょっとするとこちらの善や愛が相手には非常な重荷になっている場合だって多いのである。向こうにとっては有難迷惑な時だって多いのである。
それなのに、当人はそれに気づかず、自分の愛や善の感情に溺れ、眼(まなこ)くらんで自己満足をしているのだ。
 こういう人のことを善魔という。そしてかく言う私も自分がこの善魔であって他人を知らずに傷つけていた経験を過去にいくつでも持っている。

遠藤周作 「無明のなかの光」より


 善魔の本質は「魔」なので、本人も周囲も必ず不幸にします。善意から生じているので、本人は気づかず、気づいても
直らず、周囲も指摘しづらい。悪魔よりもたちが悪いのです。
また世間的に「誠実で真面目」と言われる人ほどこの傾向が強いのも特徴です。善魔はあまりに深く棲みついているので根絶は無理かもしれませんが、「布施行」のポイントを意識してみてはどうでしょう。
① やり過ぎていないか ② その人のためになっているか
③ 望まれているか ④ 見返りを求めていないか
 相手の立場に立つことで、大切な人を傷つけたり、自分が「○○してあげたのに!」といやな思いをしたり、残念な結
果を招くことが減るかもしれません。面倒だと言われそうですが、自己満足に浸っている己の姿に気づいたら、慚愧の心が起こるでしょう。

教え魔


 人を育てる立場になったとき、善魔の一種である「教え魔」になりがちです。生徒の成長は指導者にとっても大きな喜びですから、意欲ある教師はつい熱が入りすぎてしまいます。
その時に善魔は「これは本人のためだ」とささやくのです。
私自身もかつては教え魔で、今でもその傾向があると恥ずかしながら思います(自戒をこめて)。


「正しいこと」は人の数だけ


 この原稿を書いているとき、ウクライナ東部では正規軍と
親ロシア派武装組織が停戦合意に反して戦闘を繰り返して
います。どちらの側も正義を主張していますが、当然ながら
その正義は自分の立場から見たものです。
 しかしこれまで見てきたように、価値観は人それぞれで、正しいことは人の数だけあるのです。ですから「正義」という言葉はよほど慎重に「危険物、取扱注意」というラベルを貼っておくか、(私にとっての)と前置きをつけて読む必要があるでしょう。
 戦争は極端な例かもしれませんが、「正しい」という言葉が大好きな人は世の中に大勢います。もし「正しい」を連発する人が周囲にいたら、観察してみてください。その人は意見が異なる人にどう接しているでしょうか。