ありがとうの語源は「有り難し」、すなわち滅多にない貴重なこと。皆さんにとって忘れられない「ありがとう」は何でしょうか。
私事で恐縮ですが、結婚する時、両親にこれまで育ててもらったお礼を言いました。すると父は「こちらこそ、育てさせていただいてありがとう」と返しました。父からは叱られることが多く怖い存在だったので、正直意外でした。私を育てることを「当たり前」ではなく「有り難し」と思ってくれていた。胸が熱くなりました。私にとって最高の「ありがとう」でした。
同朋聖典(正信偈やお経が載っている赤い本)の先頭の礼讃文には「有り難い」ことが二つ書かれています。
「人身受け難し」・・・人間としてこの世に生を受けることは稀である。
「仏法聞き難し」・・・仏の教えに出会うことは稀である。
今の境遇に満足できず、不幸だと思うことも多々ありますが、稀なことを積み重ねて、ここまでたどり着いたこの命です。「有り難い」と捉えるか「当たり前」と捉えるかで、これからの人生は変わってくるように思います。少なくとも私の「ありがとう」は、相手の心に明るい光を灯します。そして仏法はそのための道しるべになると信じます。
おかげさまも、漢字を使えば「お蔭様」。自分の目に見えないところでいろんな人が蔭ながら私を支えてくれていて、こうして暮らしていけるのです。それを宗教的には「冥加」と申します。ご丁寧に「様」をつけるのは、やはり「当たり前」ではない、という思いからなのでしょう。おかげさまは、目に見えない力に支えられていることを喜ぶ言葉です。
ありがとう、おかげさま、心の中で噛みしめながら、この言葉を使っていきたいものです。


