●あいつの顔なんか見たくない!
新聞の人生相談を見ると、家庭や職場の不和に悩む人の投稿がよくあります。避けられるものならまだよいのでしょうが、毎日顔を合わす間柄であれば耐えられませんよね。
私事で恐縮ですが、若い頃は話し合えば誰とでも理解しあえると思っていました。でも大人になって、ある人と大変な不和になり、「話せばわかる」は人生を知らない甘い考えであることに気づきました。今でもその人に会うと当時のことを思い出して不快になります。ほんの些細なきっかけでも、一旦こじれてしまうとお互いに殻を作ってしまい、話し合うことすらできなくなるのですね。
「あいつの顔は見たくない」という気持ちは、「顔を見ると腹が立つから一緒にいたくない」ということですから、「怒り」という言葉で表されるのでしょう。私は「怒り」は人間の感情の中で最も危険なものだと思っています。なぜならば、怒りは瞬間的に湧き上がって、本人を含めて関係する人すべてを不幸にしてしまうからです。
●脳科学では「怒り」をどう見るか
最近では脳科学による知見がたくさん紹介されるようになりました。それによると、
怒りという感情は、目の前の敵に対して襲いかかるか逃げるかをカラダに実行させるために発生するもので、生存するために必要で、発生自体を防ぐことはできない。
ものなんだそうです。こう説明されると、怒りが瞬間的に湧き上がるのも納得です。また、生存するために必要であるということは、人類はこれまで弱肉強食の世界を生き残りながら進化してきた歴史を物語っています。
さらに調べると、怒りは発生学で言う「古い型」の部位で起こり、「新しい型」の部位がそれを抑制するのだそうです。ちなみに古い型は「馬の脳」、新しい型は「人の脳」という別名があるそうです。「古い型」を制御できないのは動物と同じだ、ということでしょうか。
●お釈迦様のとらえ方
怒らないことによって怒りにうち勝て。
善いことによって悪いことにうち勝て。
釈尊『真理のことば』
お釈迦様の時代には脳科学なんかありませんから、ひたすらご自分の心を見つめてることで、怒りを分析したんですね。さすがお釈迦様! そして、「怒り」の感情が起こること自体は、人間である以上仕方ない。でも日々の修行によって怒りの炎に打ち勝って、「怒らない」自分になることはできる。そしてその修行法を発見しました。ですからお釈迦様の修行は、今でいえば新しいである大脳皮質を訓練するということになるのでしょう。
●「怒り」についての説話
ーーー2人の僧侶が道を歩いていました。すると美しい女性が川のほとりで川を渡れずに困っていました。僧侶の一人は女性を抱き上げ、向こう岸まで運びました。そして女性を下ろし、何もなかったかのようにまた歩き続けました。
もう一人の僧侶はこれを見て怒りました。仲間が「女性に触れない」という戒律を破ったからです。怒りを抱えたまましばらく一緒に歩き、懺悔の言葉を待ちました。しかし一向に謝ろうとしないので、とうとう「戒律を破って恥ずかしくないのか」となじりました。すると女性を助けた僧侶は答えました。
「私はあの女をとうの昔に下ろしました。しかしあなたは、まだあの女性を抱いているのですね。」
●本当に大切なものは何か
この話は、過ぎたことにこだわって一番大切な「今」を汚れた心で生きることの空しさを説いています。いくら自分が正しいからといっても、相手に怒りを持ち続けることは愚かだというのですね。ここで注意しなければならないのは、どちらが正しいかということ、すなわち倫理や道徳や正義にはあまり力点が置かれていないことです。これらは相対的なものですから。本当に大切なのは、怒りによって私自身の心を暗く汚れたものにしないことなのです。
怒りを抑えるのは大変難しいことです。しかし完璧にできなくても、怒った時の自分の姿を冷静に観察すると、二つのものが見えてくるように思います。一つは相手にも仲良くしている人がいるということ。相手が私だから衝突するのかもしれません。もう一つは私が気づいていないだけで、私を嫌っている人が他にもいるに違いないということです。
私の場合、そう思うようになると幾分心が和らぎました。自分の「正義」の角が、少しだけ丸くなったのかもしれません。先に話したように、その人の顔を見ると相変わらず不快ですが、心に余裕ができました。
私はお坊さんになって「幸せって何だろう」と考えることが多くなりました。それまでの人生は「幸せを増やす」ことが大事でした。でも増やすべき幸せそのものについては深く考えていなかったのです。最近ですが、自分の姿がわかることが幸せではないかと思うようになりました。自分の姿というものは知れば知るほどヒドいので、辛い気づきなのですが、知らないまま過ごしてきたことを考えると恐ろしくなります。傍若無人に振舞っていた己のありさまを恥ずかしく思い、周囲に助けられていることを感謝するばかりです。


