まるで口癖のように「他人に迷惑をかけるな」と言う私の知人。しかしこれを言う本人は、何をするにも自分中心で、気に入らないとすぐに怒りを露わにします。
周囲は面倒を避けるために、意に沿うよう配慮します。ですから本人はまさか自分が迷惑をかけているとは思わないのでしょう。その自信が「自分は正しい」を増幅し、ひいては他人を傷つけてしまいます。慢心で鬼になるとは、そのことを指しているのでしょう。
自分を正当に評価するのは大変難しい作業です。過小評価すれば卑屈になり、過大評価すれば慢心してしまいます。
本多師はこのようにも仰っています。
人は、自身の事実が見えないから生きておれるのかもしれない。しかし現実が認識され、そこからの出発がない限り、真の救いはない。
鋭い言葉です。自分が鬼であることに気づかないから、先の知人は平気でいられるのでしょう。しかしここまで書いたとき、それは私にも当てはまることだと気づきます。気づいていない鬼とは、他ならぬ私のことだったのです。
私はこれまで何度も他人と衝突し、失敗してきました。その都度傲慢な自分の姿に気づく機会をいただきました。変わろうと思えたのは、仏の教えに導かれたからに他ありません。慢心の根はとても深く、鬼から人へ、行ったり来たりの繰り返しですが、あきらめずに生きていきたいと思います。


