2026年4月のことば

お茶碗を割るのは洗う人ばかり

どんなに注意していても、食器を割ってしまうことはあるものです。自坊でも割れてしまった茶器がいくつかあります。捨てられずにいたのですが、「金継ぎ」を体験する機会があり、修復して使えるようになりました。熱湯が使えないなど制約はありますが、手間をかけた器には愛着が湧きますね。

今月のことばには、たとえ茶碗を割ったとしても、いつも洗ってくれる人への感謝があります。それと同時に、洗わないで文句ばかり言う人に対して、「自分は何もしないのに、他人の過ちを高所から非難するのはどうなの?」という問いも込められています。

先日病院の待合室で、春の高校野球が放映されており、近くに座っていた年配の男性が観戦していました。画面に映るピッチャーは制球に苦しんでおり、投げたボールがデッドボールになってしまいました。その瞬間男性は「このピッチャー、ポンコツやわ!」と言い放ちました。期待が裏切られて腹が立ったというわけでなく、こんな風に上から目線でダメ出しをするのが習慣になっているのでしょう。

私にとっては迷惑な話です。毒のある言葉を聞いて不愉快になりました。私の家族の中にも、同じように解説者気取りでキツいコメントをする人がいるので、一緒に観戦するたびに辛い思いをします。賢明な皆さんは、家族でスポーツを観戦する時にまさか毒を吐いていませんよね?

「岡目八目」という言葉があるように、当事者よりも傍観者のほうが視野を広げて冷静に判断できることもあるでしょう。しかし当事者にしか分からない背景が多々あることは容易に想像できます。何かを応援するのであれば、安易に非難するのではなく、失敗したときにこそ悲しみを共有し、努力を讃えることが本来あるべき姿なのではないかと思います。

非難の毒は、周囲も自分も傷つけるのですから。