2024年2月のことば

悲しみの中にこそ 仏はおわします

10年以上前のことですが、私の母の通夜式で不思議な体験をしました。正信偈のお勤めをしていると、御文の一字一字がきらきらと輝いて見えました。そして心にすっと染み込んでくる、そんな気がしました。

母を亡くした悲しみが普段と違う感覚にさせたのだと、頭ではそう思います。しかし心の中では、これまで気づかなかったものに亡き母が出遭わせてくれたのだと思いました。

御文が輝いて見えたのは残念ながらその時だけですが、宗教的感動は今も心に残っています。こういった経験をしたことのある人は多いと思いますが、生きていく上で大切な支えとなっているに違いありません。

東日本大震災の時は、僧侶の仲間に誘われて慰問活動に行きました。避難施設の前の海は、テレビで見た津波とは打って変わって穏やかでした。その水底に、今も収集を待っているご遺体が沈んでいることを想いながら、被災者と一緒に手を合わせ、お勤めしました。

災害時に僧侶としてできることはほとんど無いと無力感を感じましたが、意外なことに多くの被災者から「よく来てくれた、お勤めしてくれてありがとう」とお礼を言われました。慰問に来たはずなのに逆に励まされていることに気づき、悲しみや苦しみの中だからこそ、見えてくるものがあると感じました。それに気づかせてくれたものを、「ほとけ」と呼んでも良いのではないかと、私は思います。

2024年元日に発生した能登半島沖地震では、大勢の方が今も苦しみと悲しみの中にいます。そのことを忘れずに、わずかながらでもできることをしたいと思います。